■新潟県中越地震(本震)の震度分布
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新潟県中越地震
2004年10月23日 PM17:56 M6.8 13km
被害:死者48人,行方不明0人,重症635人,負傷4,169人
全壊3,181棟,半壊13,531棟,一部損壊104,407棟,火災9棟
公共施設34,915棟、道路6,064、河川229、がけ崩れ442
道路規制箇所マップ[新潟県警]
ライフライン復旧状況一覧[新潟県 対策本部]
●地方公共団体からの支援食数 ⇒ 2,110,317食[2004.11.12消防庁調べ]
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震度7 | 川口町
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震度6強 | 小千谷市,山古志村,小国町
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震度6弱 |
長岡市、十日町市、栃尾市、越路町、三島町、堀之内町(現・魚沼市、広神村(現・魚沼市、) )守門村(現・魚沼市、入広瀬村(現・魚沼市、) )川西町、中里村、刈羽村
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震度5強 |
安塚町松代町松之山町見附市中之島町与板町
和島村、出雲崎町、小出町(現・魚沼市、塩沢町、)
六日町(現・南魚沼市、大和町(現・南魚沼市、) )
津南町
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震度5弱 |
新潟県:上越市、浦川原村、牧村、柿崎町、頸城村、吉川町、
三和村、三条市、柏崎市、加茂市、栄町、湯之谷村
(現・魚沼市、広神村(現・魚沼市、高柳町、西山町、) )
燕市、弥彦村、分水町、吉田町、巻町、月潟村、
中之口村
福島県:只見町、西会津町、柳津町
群馬県:片品村、高崎市、北橘村
埼玉県:久喜市
長野県:三水村
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新潟県中越地震 概要
2004年10月23日 PM17時56分、新潟県中越地方の地下13kmを直下とするM6.8の直下型地震(逆断層型)が発生した。震源域の新潟県川口町で震度7、小千谷市や小国町で震度6強を観測。長岡市、十日町市、栃尾市、魚沼市などで震度6弱。埼玉県久喜市や長野県三水村でも震度5弱を観測するなど中越地方から関東地方にかけて広い範囲で揺れを感じた。震源域付近の小千谷市では、地震で地殻が36cmもズレが生じたという。
地震発生から僅か5日間の間に、震度5以上の大きな余震が14回発生。本震の約15分後のPM18時11分の余震では小千谷市で震度6強、更に23分後の余震では十日町市、川口町、小国町で震度6強を観測し、本震から僅か1時間の間に震度6が3回も発生した。最大震度6以上の地震を1日で3回以上観測したのは2003年年7月26日の宮城県北部地震(M6.4 重軽傷675人 全壊1,276棟)以来となる(最近の観測データでの統計)。
自衛隊の初動体制は迅速で、地震発生から30分後には陸上自衛隊の映像伝送装置を搭載した震災状況把握用ヘリコプター(UH-1)が立川駐屯地から出動。夜21時過ぎに新潟県知事から正式に政府への災害派遣要請が入り、政府調査団先遣隊も出動した。また、深夜には警視庁で史上初めて広域緊急救助隊が編成された。
政府は24日午前中に、被災者へ1日約22万食、24日中の必要量を約6万食と試算し、乾パンなど12万食を自衛隊機で空輸。自治体では、例えば、新潟市などの他、いち早い支援を行った長野県はヘリコプターで当面の食糧でサバイバルフーズ(#10大型缶)を震災翌日24日昼に、孤立した川口町や山古志村へ空輸( 空輸時間 PM13:10, PM14:10, PM16:05 )した。他に群馬県などの各地の行政支援も翌24日(日)から徐々に本格化する。
本震発生が土曜日の夕刻から夜にかけての時間帯だったこと、民間テレビ局ヘリコプターが第一報を伝えたのは夜間、通信や道路も各地で寸断されたために鮮明な現場映像が報道されたのは翌朝となるなど、本格的な民間支援は発生3日後の25日(月)から始まった。
最初の本震で、浦佐駅(新潟県大和町)~長岡駅(同県長岡市)間の下り線を走行中の東京発新潟行き上越新幹線「とき325号(10両編成)」が開業以来初めて走行中に脱線。奇跡的に乗客乗員151人は無事だったが、乗客は脱線後車内で4時間ほど待機し、深夜22時過ぎになってJR職員の誘導により徒歩で長岡駅へ避難した。
地震の直接被害は、直前の大雨により地盤が緩んでいたこともあり、トンネルや道路網が各地で寸断され、電気・ガス・水道なども途絶するなどライフライン被害が甚大で、家屋損壊も含めほとんどの被害が震源域
に集中した。震源域では信濃川による砂礫層という軟弱な地盤で崖崩れ(斜面崩壊)が約1,660ヶ所で同時に発生、崩壊土砂の総量は計7,000万立方mと東京ドームの実に約56倍に達した。その内、大規模な土砂崩れが10ヶ所あり、うち5ヶ所が山古志村、小千谷市、堀之内町の芋川流域に集中した。2ヶ所で土砂が川をせき止めて「天然ダム」となり、決壊による二次災害も懸念された。余りにも多い土砂崩れに交通や通信など全てのライフラインが各地で寸断され、山古志村や池ノ平など61ヶ所の村落で住民が孤立した。地震発生直後から孤立箇所の情報が入らずに、外部との道路の寸断もあり住民の避難や支援物資の運搬も困難を極めた(関越道の復旧は翌11月6日から)。山古志村の孤立住民1,780人は震災後3日目に、池ノ平地区の住民も5日目の27日に全員救出された。
ライフラインは、停電約278,000戸、ガス約56,000戸、断水約110,000戸、特に村民が全村避難となった山古志村では、全域でライフラインに甚大な被害を被り、3ヶ月経ても、全世帯677世帯のうち650世帯で断水、半数近くで停電が続いた(全住民が避難したことにもよる)。
震度7を観測した川口町では、住居約1,400棟のうち41%(570棟)が全壊・一部損壊を含めると97.7%の住宅で被害を受けた。小千谷市でも13,029棟の約9割で被害、全壊家屋は全体の5.1%(662棟)。被害がなかったのは僅か10.8%(1,405棟)だった。
避難所はピーク時には約600ヶ所の施設で約10万3,000人が避難生活を余儀なくされた。被災者全員が仮設住宅入居などが決まり退去するまで約2ヶ月(12月22日に全避難所が閉鎖)。
地元経済にも深刻なダメージを与え、一部損壊以上の被害を受けた商店は小千谷市で96.4%、川口町で98.0%に上った。地震から40日間で営業を再開する小売店が5割近くとなる一方で、廃業や再開のめどの立たない店舗も多い。被害がなかった新潟県上越や下越地域などでは、風評被害により旅行・宿泊客のキャンセルが大量に発生。新潟県旅館組合の調査によると、12月15日までの宿泊キャンセル数は実に約42万人となり、被害額は約80億円に登るという。
東北や北海道などの雪国での地震災害では、地震規模に比べて倒壊被害の少ない要因として一般的に雪国特有の建築強度(土台が頑強で屋根を軽量化するなど)が倒壊など建物被害を軽減しているのだと言われるが今回の地震では、地震波の周期が異なるために阪神震災に比べて倒壊被害が比較的に少なかったとする見解もある。避難者数約10万人、住宅損壊約9万棟、被害額約3兆円を超え、1995年の阪神震災以降初の大規模地震災害となった。
犠牲者の死因の約4割が家屋倒壊などによる圧死、半数以上は極度のストレスによるショック死や血圧急上昇等が原因のエコノミークラス症候群など避難生活中に突然亡くなるケースだった。
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~本震と主な余震~ 震度5弱以上を観測した地震
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発生日時 |
発生場所 |
マグニチュード (Mjma) |
深さ (Km) |
最大震度 |
北緯 |
東経 |
1 | 2004/10/23 17時56分 | 37度 17.4分 | 138度 52.2分 | 6.8 | 13 | 7 |
2 | 2004/10/23 17時59分 | 37度 18.6分 | 138度 51.5分 | 5.3 | 16 | 5強 |
3 | 2004/10/23 18時03分 | 37度 21.1分 | 138度 59.2分 | 6.3 | 9 | 5強 |
4 | 2004/10/23 18時07分 | 37度 20.7分 | 138度 52.1分 | 5.7 | 15 | 5強 |
5 | 2004/10/23 18時11分 | 37度 15.0分 | 138度 50.0分 | 6.0 | 12 | 6強 |
6 | 2004/10/23 18時34分 | 37度 18.2分 | 138度 56.0分 | 6.5 | 14 | 6強 |
7 | 2004/10/23 18時36分 | 37度 15.2分 | 138度 56.7分 | 5.1 | 7 | 5弱 |
8 | 2004/10/23 18時57分 | 37度 12.2分 | 138度 52.0分 | 5.3 | 8 | 5強 |
9 | 2004/10/23 19時36分 | 37度 12.8分 | 138度 49.7分 | 5.3 | 11 | 5弱 |
10 | 2004/10/23 19時45分 | 37度 17.6分 | 138度 52.8分 | 5.7 | 12 | 6弱 |
11 | 2004/10/23 19時48分 | 37度 17.7分 | 138度 50.4分 | 4.4 | 14 | 5弱 |
12 | 2004/10/24 14時21分 | 37度 14.5分 | 138度 49.8分 | 5.0 | 11 | 5強 |
13 | 2004/10/25 0時28分 | 37度 12.0分 | 138度 52.4分 | 5.3 | 10 | 5弱 |
14 | 2004/10/25 6時04分 | 37度 19.6分 | 138度 57.0分 | 5.8 | 15 | 5強 |
15 | 2004/10/27 10時40分 | 37度 17.3分 | 139度 02.2分 | 6.1 | 12 | 6弱 |
16 | 2004/11/4 8時57分 | 37度 25.6分 | 138度 55.1分 | 5.2 | 18 | 5強 |
17 | 2004/11/8 11時16分 | 37度 23.5分 | 139度 02.1分 | 5.9 | ごく浅い | 5強 |
18 | 2004/11/10 3時43分 | 37度 21.9分 | 139度 00.2分 | 5.3 | 5 | 5弱 |
19 | 2004/12/28 18時30分 | 37度 19.2分 | 138度 59.1分 | 4.9 | 8 | 5弱 |
※ | 2005/6/20 13時03分 中越地震の余震ではない | 37度 2分 | 138度 6分 | 5.0 | 15 | 5弱 |
※ | 2005/8/21 11時29分 中越地震の余震ではない | 37度 3分 | 138度 7分 | 5.0 | 17 | 5強 |
※ | 2007/7/16 10時13分 新潟県中越沖地震 | 37度33分 | 138度37分 | 6.8 | 23 | 6強 |
※ | 2007/7/16 15時37分 新潟県中越沖地震 | 37度30分 | 138度39分 | 5.8 | 17 | 6弱 |
このページは、2004年10月25日に、政府や自治体の動きを時系列で調べるためだけの目的で、店長が個人的に作成したリンク集ページです。個人的なものだったので11月3日まで一切公開していませんでしたが、非公開ですと、自宅に帰った時に見れないなど「利便性が悪い為」にこの度公開することにしました。ただのリンク集だと味気ないので少し見やすくした震度データ画像などを付記してます。(2004年11月3日)
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●参考資料●相模トラフ沿いの地震活動[2004.8.23]
主な関東(首都圏)の地震年表
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発生日 | 名称 | 規模 | 死者 | 負傷者 |
2005年7月23日 | 千葉県北西部地震 | M6.0 | 0 | 38 |
1992年2月2日 | 東京湾南部地震 | M5.9 | 0 | 34 |
1987年12月17日 | 千葉県東方沖地震 | M6.7 | 2 | 161 |
1956年 9月30日 | 千葉県中部地震 | M6.3 | 0 | 4 |
1923年 9月 1日 | 関東大震災 ●関東大震災 解説 | M7.9 | 142,807 | 103,733 |
1922年 4月26日 | 浦賀水道地震 | M6.8 | 2 | 23 |
1921年12月 8日 | 茨城県南部地震 | M7.0 | 0 | 0 |
1915年11月16日 | 房総半島群発地震 | M6.0 | 0 | 5 |
1895年 1月18日 | 茨城県南部地震 | M7.2 | 9 | 68 |
1894年10月 7日 | 東京湾地震 | M6.7 | 0 | 0 |
1894年 6月20日 | 明治 東京地震 | M7.0 | 31 | 197 |
1855年11月11日 | 安政 江戸地震 | M6.9 | 10,000 | 多数 |
1853年 3月11日 | 嘉永 小田原地震 | M6.7 | 100 | 多数 |
1782年 8月23日 | 天明 小田原地震 | M7.0 | 有り | 有り |
1703年12月31日 | 元禄地震 | M8.2 | 10,000 | 多数 |
1697年11月25日 | 元禄 鎌倉地震 | M6.5 | 不明 | 不明 |
1633年 3月 1日 | 寛永 小田原地震 | M7.0 | 150 | 多数 |
※震度分布の画像について:
三陸南地震についての画像は、内閣府発行の広報誌[広報ぼうさい(No16号)]より画像引用しています。それ以外は、Seiさんのお店で作成したオリジナルです。
その為、三陸南地震の画像についてはHP等で使用・引用しないようにして下さい。それ以外の震度分布図の画像は、もしご入用でしたら、個人・法人問わずHP等で自由に利用下さって構いません。
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